1970年の阪神タイガース(1970ねんのはんしんタイガース)では、1970年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、村山実選手兼任監督の1年目のシーズンである。
概要
前年2位になりながらも1年で辞任した後藤次男前監督の後を受け、村山実が選手兼監督に就任。村山新監督は就任後のドラフトで上田次朗を1位で指名して江夏豊頼りの投手陣の強化を図った。打撃陣では後藤前監督が辛抱強く起用した田淵幸一が2年目のジンクスを吹き飛ばすように本塁打を量産し、また安藤統男が打率2位になるなどチーム打率は巨人をやや上回った。チームは5月まで巨人をマークするものの、黒い霧事件で葛城隆雄が逮捕され、江夏も謹慎処分になるなどの影響で戦力が低下。一時は4位に転落するものの、巨人の勢いが落ちた8月には3ゲーム差まで追い上げ、直接対決に勝てば首位に立てるはずだった。しかし、8月26日の広島戦で田淵が頭部に死球を受けて残りのシーズンを棒に振り、江夏も心臓病で入院し投打の主力が戦線離脱するアクシデントに見舞われる。田淵離脱後の打線はウィリー・カークランド、フレッド・バレンタインの両外国人が中心となって田淵不在の打線をカバーしたが、巨人が11の貯金を稼いだ広島戦を5割で終わったことと、終盤の直接対決を勝ちきれなかったことが響き、77勝を上げながらも巨人の6連覇を許して2位に終わった。この年からユニフォームに背中ネームが採用された。
チーム成績
レギュラーシーズン
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1970
- 取り消し線は出場辞退
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
個人成績
投手成績
※色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
表彰
- 村山実
- 最優秀防御率 0.98(8年ぶり3度目で戦後かつ2リーグ制後初の防御率0点台達成)
- 最高勝率 .824(初受賞)
- 江夏豊
- 最多奪三振 340個(4年連続4度目)
- 安藤統夫
- ベストナイン 〈二〉(初受賞)
- 藤田平
- ベストナイン 〈遊〉(2年連続3度目)
達成記録・出来事
- 1月11日 - 近鉄を自由契約となった鎌田実の入団を発表。
- 5月19日 - 大井オート、船橋オートの八百長事件を捜査中の警視庁捜査四課、葛城隆雄を小型自動車競争法違反で逮捕。セントラル・リーグは葛城に対し、即座に期限を定めず出場停止処分にした(黒い霧事件)
- 6月18日 - プロ野球コミッショナー会議は、出場停止中の葛城隆雄を「3か月の期限付失格選手」に指名する。期限切れの後は自由契約選手とされ、葛城はこの年限りで現役を引退した。また同日、野球賭博で暴力団から腕時計を贈られていた江夏豊投手を「謹慎」処分にした。
- 6月27日 - ヤクルト9回戦(神宮)でNPBで2度目、セ・リーグ初の「毎回得点」を達成
- 7月2日 - 江夏豊が大洋7回戦(川崎)の7回に重松省三から三振を奪い通算1000奪三振、史上38人目
- 7月7日 - 村山実が大洋13回戦(甲子園)先発登板し完封勝利を挙げ通算200勝を達成、史上14人目
- 8月6日 - 遠井吾郎がヤクルト16回戦(神宮)の4回に松岡弘から本塁打を放ち通算1000安打、史上74人目
- 8月26日 - 田渕幸一が広島19回戦(甲子園)が3回に外木場義郎投手から左こめかみにデッドボールを食らう。耳から出血するほどの重傷だったが、3ヶ月の入院で一命を取り留めた
- 9月13日 - 若生智男が中日21回戦(中日)で先発登板し、通算500試合登板を達成
- 10月25日 - 若生智男が広島26回戦(甲子園)で先発して13勝目を挙げ通算100勝、史上50人目
ドラフト指名選手
脚注
注釈
出典



